ぶどう狩りのシーズンがやってきました。

遠い昔、昭和32〜3年頃だろうか?
道路が舗装して無かった頃、わたしは某社の私設消防隊に入っておりました。若くて元気が良くていつでも仕事から抜け出せる人達が選抜されてなっておりました。
この付近の東海道には東海道本線横須賀線の踏切が横切っており「開かずの踏切」として有名でした。
東海道が 踏切の開かない ことは物流にとっても切ないことでした。後にここへは戸塚・藤沢バイパスが高架で開設されましたが、わたし達私設消防隊は大活躍でした。どんな火災にも出動しました。

踏切の両側に「消防署」が有れば問題ないのですがそうはいきません。

頻繁に火災が発生しました。その都度わたしたちは出動しました。消防署よりも早く現地に到着なんてことはしょっちゅうでした。が、我々よりも米軍の藤沢・原宿の通信設備の消防隊はもっと早かったです。恐らく電話の傍受のせいでしょうね。

そんなわけで、梯子車の必要性が出て来ました。すぐ梯子車が来ました。此処の消防署には未だ梯子車なんてありませんでした。折りたたみの梯子車です。この上に載って操車をして消火活動をしました。
混雑した住宅地では燃え広がらなくて助かりました。下から放水すると火は燃え拡がります。水は掛けねばなりません。すると延焼します。これが梯子車ならば延焼しないと痛感しました。

こんな消防隊員には色んな恩恵がありました。相模川の鵜飼と船の上でのアユの塩焼き、天ぷら。プロ野球の観戦。甲州へのぶどう狩り等でした。
このぶどう狩りには大変な失敗があります。

時間制限で「ぶどうの食べ放題」これに挑戦しました。食べている途中で バスの都合で「時間が半分になりました。」とのこと。
あと2房で10房になります。10房食べれば「無料」になります。

9房目を口に運びもう1房をもぎ取ってお金を払ってバスに飛び乗りました。

泡をくってバスに飛び乗ったはいいが、この後が大変でした。
9房も食べたのですよ。ただで済むわけがありません。
このあとは想像して見てください。



多分この写真のぶどうは、もぎ採っては食べられないでしょう?
なぜって? 高価過ぎますよ。
横浜市旭区の「藤稔」 保証票が付いております。
兎に角一粒がやたらに大きい。3粒も食べれば一休み。と言いながら手が止まりません。
1円玉は、直径が2cmあります。比較する為置きました。写真をクリックすると絵が大きくなり1円玉が丁度2cmぐらいになります。するとブドウも実物大になります。


そしてこれは姪の作った「藤つる」を編み込んだもの。バックやその他のものが家じゅうに一杯積み重なってあります。
姪もこれを作るために山深く入り込むでしょう?
大した体力です。

欲しい方はわたしに言ってください。
伝えます。  藤のつるで編んだ袋物・長持ち請け負います。