幾らタダだからと言っても

わたしの所だけではないでしょう?

この大きさでこの形状の複雑さ

河原から拾って来た時点で、もうすでに価値があります。


この花器台を屋外の雨・風・太陽の強烈な紫外線をたっぷり降り注ぐ地面へポイッと置いてありました。

価値の解らぬ人にあげるとこのような結果になります。

あなたが若し大金をはたいて買って来たものならば、こうゆう仕打ちはしないでしょうね。

幾らタダで貰ったからといっても、価値がタダとは限りません。

この位の大きさになると、汚れたままの流木は家に届いた時点ですでに5000円はします。それに手を加えて皮をむいて形を整えれば、さらに○○円かかります。あとはご想像にまかせます。

別人は言いました。「骨董市も探したが、なかなかこの手のものは無かったわよ。」
「もし有っても○万円は出さないと買えないでしょう。」と答えました。


止むを得ず、一先ず持って来ました。それで片っぱしから塗料を塗りたくりました。
これで少々の雨風は防げるでしょう。

塗料と一緒に涙も混じったかも知れません。


流木が簡単に手に入る所では、こうした行き違いが起こりやすいでしょう。

だから流木作品も石の作品も地元では・・・・   残念です。